2011.08.01

発信者と流通者

普段こちらではなかなか紹介する機会もないけれど、他社の宣伝や営業などの仕事を頼まれる機会が結構あって、そうした場面で出会った人たちからも、時にたくさんのインスピレーションを分けてもらえる。音楽と直接関係あるような、ないような、今回はそんなお話。

かれこれ7年以上請け負ってきた、バウンディ社と弊社間の販売促進における業務委託契約が、さる7月末日で満了となり、昨日をもって一区切りとなった。
バウンディはいわゆるディストリビューター、アグリゲーターと呼ばれる業態をメインとしている会社である。ディストリビューターとは、CDやLPなどの物流を取り扱う業種をいい、全国のCDショップへの販路を提供し、現物の商品をメーカーからお店に納品、その対価として販売手数料などを徴収する。アグリゲーターは平たくいえばその音楽配信版で、iTunes Storeに代表される音楽配信事業者とレーベル間のハブとなり、データの営業や納品、管理を行っている。日本の同業界シェアのトップを占めるのがこのバウンディという会社で、その膨大な取扱タイトルの中から、ワールドミュージックとジャズのマーケティング、および営業というミッションのもと、ざっと800枚以上のタイトルに関わってきた計算になる。
これらのCDがどんな人たちによって世に送りだされ、どのように宣伝されて、どんなお店や地方で売れていくかという一連の流れを間近にすることができて、大変勉強になった。バウンディのスタッフや契約レーベル、お店の方など、関係各位にはお世話になりっぱなしで、この場を借りてお礼を申し上げます。

ところでこのディストリビューターやアグリゲーターという職種、一般の音楽ファンの話題に登場する機会さえほとんどないけれど、洋楽・邦楽問わずインディーズの世界では欠かすことのできない業種である。
どちらもお店とメーカーとの間に立つことで、市場にとってスムーズかつ効率的な流通を確保することがその存在意義だ。特に小さなレーベル会社にとっては、数千店といわれる日本全国のCDショップや、前述のiTSなどと直接契約を結ぶことは現実的に不可能であり、それらのお店にCDやデータを取り扱ってもらうために、これらの会社との契約が不可欠となるのである。NRTとしても、今のところその全タイトルの流通を、バウンディの販売網を通じて実現してきた。

流通会社におけるマーケティング、販売促進とは一体どんな仕事なのか、もう少し説明してみる。
①各レーベルより新譜リリースの説明を受け、②音や企画内容をもとに、同アーティストの前作タイトルの販売実績や、類似タイトルの販売データなどを調査・分析し、③それに伴う目標受注数や各店舗ごとの販売プランなどを策定、④地区ごとの担当セールスに③を伝え、場合によっては自身でも直接営業セールスを行う。
というのがだいたいの流れだ(自分の場合)。
販売データの調査についてはいくつか方法がある。お店のバイヤーや、前作リリース時のレコード会社にこっそり聞いたり、サウンドスキャンのような調査会社と契約して入手すればいいので、パイプさえあれば特に難しいことはない。それに対して、販売経験を通して培ったノウハウについては、担当者ひとりひとりに個性がある。ある人から見れば売れる見込みのほとんどない、伸びしろのない商品に見えるものが、別の人にとっては意外な注目株であったりする。正直に言えば、好みの問題も多分に関係してくる。自分が気に入る音楽であれば、少なくとも地球上に一人はファンが存在することを実感できるし、プレゼンの熱も自然に入る。またその担当者が好きなジャンルであれば、そこにまつわる情報もたくさん持っているから、戦略上有利なデータを提供しやすい。担当者の腕の見せ所としては、作った本人ですら知らない過去の成功例や可能性、新しい宣伝方法などを提示してみせることにつきる。そしてもちろん、その戦略を注文数という現実に落としこむ術を持たなければ、担当者として、会社としての価値を認められない。
だから実際に、レーベルに対して「これは売れます」などと大口をたたいたものが、実際に注文が集まらなかったりすると、目も当てられないことになる。「お宅の言ったとおり予算をかけて宣伝したのにこの注文数では、うちはつぶれる。一体どうしてくれるのか」と、そこまでストレートにクレームを投げてくる人は少ないけれど、伝わってくる気迫は同じ内容を語っている。だいたい、ワールドミュージックやジャズのレーベルというのは、その音楽が好き、という純粋なところから出発して、オーナーの企画を実現するための会社であることが多いので、概して本気度にブレが少ない上に、一枚一枚に社運がかかっていることも珍しくないのだ。
そういうわけで、時に胃が痛む思いもするけれど、発火点でもあるレーベルオーナーの人たちがどのような哲学で音楽を発信し、理想と現実にどんなかたちで折り合いをつけるのか、そこに居合わせた体験は生きた教訓としか言いようがない。聖人君子のように、音楽がもつ力だけを信じて疑わず、全てを天のなりゆきに任せる人。そもそも予算や締切の管理ができないタイプの人。かと思えば、目的のためには多少ダーティーな手段も厭わないという人もやっぱりいて、お金にモノを言わせて雑誌を会社ごと買収しようと目論む豪傑(?)も時折現れたり。何が正しく、またはそうでないか、参考にする、しないという価値判断よりも、とにかくその人が持つ熱量に当てられて、好きになってしまった音楽も少なからずある。一人の人間が成し遂げられることの大きさ。業界やシステムの不備ばかりが目についたそれまでの自分に、もっと広い物の見方を教えてくれたのも、この人たちだ。はっきり言って、経営センス的なことはほとんど参考にならなかったりするのだけれど(苦笑)、とにかく楽しそうに生きている先達の姿を見ているうちに、どうやら自分も道を踏み外してしまったのかもしれない。
まだまだ世の多くの音楽家たちも、愛憎まみえつつ、どうやら彼らのことが嫌いになれないようでもある。同じアーティストを長く紹介しつづけているレーベルをみると、ことさらそんな想いを強くする。