2010.06.27

Hermeto Pascoal見聞録/2010.6.27@Pleasure Presure

ポリリズム、変拍子の応酬で、次の展開をまったく予想できない音楽。
にもかかわらず、高尚さとは無縁の、いたってカラフルで、大地や密林の香りがする音楽。
印象としてのエルメート・パスコアルを語れば、ほとんどどのアルバムの、どの曲を聴いても、こんなイメージが浮かんでくる。
エルメート・パスコアル来日公演、2日目(2010年6月27日)1stセット見聞録。


メンバーはエルメートを含め全7人。各ミュージシャンのクレジットはとうとう発表されなかったため不明だが(プロモーターのみなさん、どんなに直前になったとしてもこれだけは発表してほしい)、ベース、ドラムス、パーカッション、エレクトリック・ピアノ、サックス、ヴォーカルの6人に、エルメート自身による様々な楽器が加わる。これを列挙すると、シンセサイザー、ピアニカ、パイプ、フルート、アコーディオン、ヴォーカル、やかん、がこのセットで使用された。他のメンバーも曲によって楽器を持ち替えたり、パートを交換したり、せわしなくステージを出たり入ったりする。1時間強、まったく息もつかせぬめくるめく時間であった。

そもそも、エルメート・パスコアルという音楽家は、一体どのように紹介されているだろうか。
「ブラジルの鬼才マルチ奏者」、「マイルス・デイヴィス・グループに参加した伝説的プレイヤー」、そして、鳥や豚をステージ楽器として使用したり、といったエピソードの数々がすぐに浮かび上がる。僕も数誌の編集者の方たちに本公演を取り上げてもらうため、これらのフレーズを使ってきた。事実その通りだし、高い確立で興味を持ってもらえるのでいいのだけれど、でもその度に何とも言えずもどかしい気分になるのだ。真にオリジナルな音楽を目の前にして、それを職業的に説明せざるを得ない場面で襲われる、あのいつもの無力感。


前回、前々回の来日公演を見ていないので比較はできないけれど、今回のライブを見て、このエルメートにについてまわる「もどかしさ」がいくらか氷解した気がするので、そのことを書いておく。(これまでの来日公演については、中原仁さんのレポートをご参照ください。)
エルメート・パスコアルは、何よりもまず作曲家であり、その<作曲>という行為には、アレンジやサウンドそのものまでを含めたかたちで、リスナーに聴かれるよう意図された音楽なのではないか。そんな印象を持ったコンサートだった。全くの想像だけれど、かなり厳密に記譜された音楽かもしれない、そんなことを思ったショウでもあった。
第一に、彼のグループには、スター・プレイヤーというものがいない。一人ひとりは超絶的なテクニックを持ったミュージシャンだが、曲想がこうも転調やリズム・パターンの変化を繰り返すようでは、ジャズにおけるインプロヴィゼーション、即興演奏の余地はほとんどない。各メンバーは終始、それぞれが主旋律とも副旋律ともつかないフレーズを、まるでちゃぶ台でもひっくりかえすかのようにちらかし続ける。一曲一曲は完全に独立しているが、ほとんど曲間もない。曲の終わりに、次の曲のイントロが鳴らされるように周到にリハーサルされている。何しろ、一つの楽器、一つの楽曲に焦点を絞ることを拒絶するかのような音楽なんである。通常はどんなコンポーザーでも、一曲一曲の陰影が浮き立つような演出を望むのだろうが、その点エルメートは、恐らく、一曲や、5分や10分や30分では足りないに違いないのだ。ショウの間じゅう、リスナーは、あんぐりと口を開けて音の洪水に身を委ねるしかない。つまるところ彼は、そういう「体験」として、観衆に自らの音楽を聴かれることを望んでいるに違いないのではないか。
「フリーキー」という表現で語られることも多いエルメートだけれども、それはあくまで音楽ジャンルとしてのカテゴリー、属性からの自由さであって、演奏形態としてのフリーではないのだなあ、というのがこの日の感想。アンサンブルそのものを聴かせようとする、そのこと自体の強迫観念にも近い執念を感じた。

ではその作曲の源泉がどこにあるかというと、その答えがジャズにないことは自明だが、ブラジル音楽を幅広く聴き込んでいるリスナーであれば、北東部の様々な音楽にそれがあるだろうことは容易に察しがつくだろう。彼が生まれたアラゴアスには行ったことがないので、不勉強にしてよく知らないのだが、フォホーやバイアォンといった彼の地を代表する音楽とも違う、それぞれに独自色をもった音楽が豊富にある。現在74歳のエルメートも、この時代のブラジル人ミュージシャンの例に漏れず、その後ペルナンブーコ~リオ~サンパウロと転居を繰り返すなかで、ルーツとしての北東部性と、ユニヴァーサル・ランゲージとしてのジャズやブラジル南部の音楽を獲得していったのかもしれない。今回のコンサートで最も盛り上がった瞬間のいくつかは、パーカッションがトリアングロ(トライアングル)やパンデイロを叩いている瞬間であり、ベースがスルドの二拍目を強調しているときであり、ヴォーカルのアリーニ・モレーナ(エルメート夫人でもある)がヴィオラ・カイピーラをかき鳴らし、タップのように足音を踏み鳴らした瞬間であったこと、これだけは何をさておき強調しておきたい。

エルメートの音楽はパフォーマンスとしての面白さも充分あるが、レコードにおいてもその魅力が損なわれるものでは決してないので、この来日公演を見逃した向きにも、彼の音楽に向き合ううえで決して遅くないことを記しておきたい。かくいう僕も、彼の全ディスコグラフィ中10枚しか持っていないので偉そうなことは何も言えないのだが、現在比較的手に入り易そうなものとして、『Slaves Mass』『Célebro magnético』『Mundo Verde Esperança』あたりは入門編としてオススメしておきたい。未聴だけれど、折りよく新譜も出たみたいだし。

とかく世界には色んな音楽があるものだなあ、という素朴な感想こそが、日々の活力になるような好奇心旺盛な人たちに聞いて欲しい音楽。
ブラジル音楽ファンにおいては、エグベルト・ジスモンチやウアクチや、はたまたモノブロコのような「規格外」の音楽に耐性のある人が多いので、むしろそれ以外のファンこそ発見の多い音楽ではないか。フェスやレイヴにばっかり通っていそうな当日の客層も、そのことを明示していたようで興味深い。なんだかんだいっても、こんな実験的音楽で1000人あまりが集まる東京・渋谷は、今この瞬間も刺激的な音楽と、人々が交差する場所として機能している。そんなことを感じつつ、鎌倉行きの湘南新宿ラインに乗り込むのであった。

2010.06.16

2010.6.20 イベント 「diskunion apresenta ブラジル新譜試聴会」@渋谷 Bar Blen blen blen

ディスクユニオン新宿本館ラテン・ブラジルフロアのみなさんが企画している「ブラジル新譜試聴会」。
毎月大量に入荷している新譜を、まとめて試聴できる、こんな会のアフターパーティーにDJで呼んでいただきました。場所は名物ブラジリアン・バール、Bar Blen blen blen。(以前の内容はこちら。)
渋谷近辺の方、ぜひ気軽に飲みにきてください!

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2010年6月20日(sun) 19:00~23:00
diskunion apresenta 「ブラジル新譜試聴会」
@渋谷Bar Blen blen blen

DJ
宿口豪(Bar Blen blen blen)
石亀(diskunion)
アンナ(diskunion)

SPECIAL GUEST DJ
成田佳洋(NRT/Samba-Nova)

charge 400yen (=bar charge)
19:00-21:00 新譜試聴会 (進行:diskunion)
21:00-23:00 DJ time

2010.06.09

もうひとつの「音楽の現場」 渋谷篇

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※追記(6/10):数店のリンクがうまく貼れておりませんでした。お詫びして訂正いたします。

昨晩このブログで書いたHMV渋谷の閉店に関する記事の反響を色々と頂いていて、メールやtwitter上で寄せられる返信の波がしばらくやみそうにない。
今現在、お店で働いている方の真に迫ったコメントから、CD終焉を象徴するニュースとして捉えようとするものまで実に色んな意見があったけれど、個人的に気になったのは「渋谷に行く理由がなくなった」、そんな意見がちらほらと見受けられたことだった。どんなかたちであれ<現場>というフレーズに触れたコメントが多かったことは、音楽と、音楽を介したコミュニケーションへの渇望感を、みんな持ち続けているのだなあ、という感想を僕にもたらした。

音楽の現場の大きな一角を担ってきたレコード店がこうなってしまうと、この後どんな時代になっていくのだろう……集約すると、そういった不安感が大勢を占めているように思う。
とはいえ、現場はレコード店だけでなく、例えばミュージック・フレンドリーなバーにもあるのでは?
というわけで、何を今更、な名店揃いですが、個人的に足を運ぶことの多いお店を以下に列挙してみます。東京以外に在住の方も参考にしていただければ。

まずは「B+2」としても知られるブラジル系3店:

Bar Blen blen blen
クロい選曲が光ってます。週末のクラブのバーカウンターのような賑わいがあるお店。ご飯もおいしい!
bar bossa
ボサノヴァ好きなら誰もが一度は足を運ぶ名店。林マスターには弊社リリースのジョビンのライナーでもお世話になりました。業界人率も高いワイン・バーです。
barquinho
ヒガシノリュウイチロウさんのお店。実はbar bossa以上にボサノヴァ純度の高いお店。ライブも時々。

Bar Music
今月正式にオープンしたばかり、musicaanossa主催のDJで、元cafe apres-midi店長の中村智昭くんのお店です。午後5時オープンで、コーヒーだけもOKだそうです。
MILLIBAR
基本レゲエ~ニューオリンズなお店です。ここも業界人率高い。スタッフのみなさんも最高!
et sona
元musee~intoxicate編集部の岡崎さんが始めたdining & barです。飲み物はワインが中心、フードもどれもおいしい。ここも隠れ家的で、業界率高いです。予約を入れたほうが無難かも。
NEWPORT
ちょっと代々木八幡方面に足を伸ばせばこんな素敵なお店も。ビオワインでおなじみです。

というわけで、週一度はこれらのお店のどこかで飲んでます。
お店のスタッフもお客さんも面白い人ばかりなので、ぜひ行ってみてくださいね。

2010.06.08

HMV渋谷 閉店のニュースに寄せて

HMV渋谷が今年の8/22をもって閉店する、というニュースは前々から関係者より聞いていたが、今日正式にそのリリースが出たので、思ったことを記しておきたい。

2002年までの約5年間、ぼくはHMVで働いていた。一番長かったのが渋谷店で、このお店にワールドミュージック売り場のスタッフとして入社したのが98年。そんなわけで、閉店のニュースを聞いたその時は、ショックというのか、とにかく二の句がつげない、そんな状態だったことを覚えている。
退社してからもう8年経ったけれども、今でも本社には当時の同僚や先輩がたくさんいるし、渋谷店にも少ないながら、当時からの旧友と呼べる人たちがいる。CDをひたすら触り続ける仕事の合間、ほんのわずかな休憩時間にもレコードの話ばかりしているようなそんな人に限って、CD不況が騒がれようがなんだろうが、今日もショップの店頭に立ち、好きでもない売れ線タイトルの対応に追われながらも、それ以外の地味なタイトルの啓蒙活動に尽力している。

HMV渋谷に限らず、多くの店舗が苦境に立たされている主原因はもちろん、お店の売り上げを支えるヒット作が極端に減ったこと。外資系のメガストアはもちろん、ほとんどのCDショップは、構造的にはいわゆる量販店といえる。その他のカタログ商品をどこまで充実させることができるかについても、結局、ごく一部の売れ筋アイテムの利益が鍵となるのだ。ゆえに、ヒット作が減ったことで、まず最初にニッチなアイテムの在庫が削られて、マニア層の店離れが起こり…という悪循環。
「ワールドミュージックみたいにそもそも限られた数のコミュニティが支えている音楽は、ヒット作の減少がもたらすCD不況の影響はあまり受けないのでは」という質問を業界の内外からよく訊かれるけれど、実情は決してそうではない。これまでお情けで1枚だけ在庫してくれたお店の数がとにかく減ってしまった。レコード会社にとっては、最初の1枚がなければ次の2枚目もないわけで、いまどき在庫がなかったと言って客注してくれるお客さんもいない(だってその場で携帯からポチったほうが数倍早い)。ロングテイルという現象は、これらリアル店舗においては死語と化してしまった。これまで単店で初回100枚注文のあったアイテムが30枚に減ってしまったことはレコード会社・アーティストにとってもちろん痛手だが、最低でも1枚仕入れてくれるお店が100店から30店に減ってしまったことのほうが、長い目でみればより致命的といえるのではないか。ニッチな音楽との出会いのチャンス、その芽とも言うべき現場が、ものすごいスピードで摘まれつつある。

では、リアル店舗はこの先いったいどうすればいいのか。ひとつの答えは、量販店をあきらめて、専門店に回帰することだ。単店で100人を超えるスタッフを擁し、一等地の利便性と、価格競争にこだわるのは止めにして、知識豊富なホンモノのスタッフがいて、買い物以外でもそこに行くと何がしかの出会いが得られるような、そんなお店を目指すのだ。一人ひとりの趣向を嗅ぎ分けて、その時々のオススメを教えてくれる、そういうサービスを求めている人は、自分のまわりにも結構多い。かつてのWAVE六本木店や渋谷クアトロ店のように、中古盤LPのコーナーを併設してもいい。そのための人材は、社内だけでもすでに確保できるのだから。とはいえ、この規模の会社が社員のためのものでなく、株主のものである以上、そんな転換を望むのは難しいのだろうが、マンハッタンにメガストアが一店残らず消えてもOther Musicが生き残っているように、専門店の意義というものはますます貴重なものになっていくのではないだろうか。渋谷という街の求心力、情報発信力の低下が語られて久しいけれど、個人商店が比較的健在な街、例えば首都圏なら谷根千地区や鎌倉といった地域がこの不況下でも人を集めていることを思えば、答えはそこにしかない気がしてならないのである。
お店も会社も無くなったとしても、人材は残る。だからこれまでこの業界を見捨てずにきた人たちには、お店に限らず、色んな場面で活躍し続けていただきたいと思う。レコード店が情報の発信基地となり、そこから色んなシーンが形成されていった時代。少なくともこの2~30年ほどは、レコード店はそんな現場のひとつであったに違いない。<現場感の喪失>ということが言われる音楽シーンにあって、次の現場作りを担う人材の多くは、何より多種多様なお客さんと接してきた、これらのお店にあるはずだと、おこがましくもそう思ってやまないのである。

ありがとう、HMV渋谷。またいつの日か!

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NRT
THE PIANO ERA
藤本一馬
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PROFILE


成田佳洋:
maritmo株式会社 代表取締役プロデューサー。レーベルNRT主宰。
静かなる音楽フェスティバル 【sense of "Quiet"】、CDシリーズ/ラジオ番組/イベント 【Samba-Nova】 主催・企画・制作。
世界と日本のピアノ・フェスティバル【THE PIANO ERA】主催プロデューサー(novus axisとのダブル主催)。
音楽ライター・選曲家として、ワールド・ミュージック全般を中心に、ジャズやロック・ポップスなどのフィールドで活動中。ライナーノーツ多数。

74年東京生まれ。96年よりレコード会社勤務、その後外資系CDショップにてワールドミュージックおよびジャズのバイヤーを5年勤めたのち、02年に初めてブラジルに渡航。当初レコード・ショップ開業のため買い付け目的での滞在が、現行シーンのあまりの面白さと、その背景の豊かさに触れ、レーベル開業を決意。帰国後レコード会社勤務を経て、04年にNRTをスタート。音楽の一方的な「啓蒙者・紹介者」としてではなく、「共有者」としての視点をベースに、CDリリース、原稿執筆、ラジオ番組の選曲・構成、レコーディング・ライブイベントの企画・制作などを行う。

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